双方が求める”信頼”
監督と選手の関係は非常にナイーブなものだと認識している。
選手は監督から信頼を勝ち取りたいと思っていることだろう。
しかし、監督も同様に選手から信頼を勝ち取りたいと思っている。
それができるとチームマネジメントがスムーズに進むからだ。
選手は監督から信頼を得てチーム内で確固たる地位を得たい。
監督は選手から信頼を得てチーム内のあらゆるものを推進するときの障壁を極力減らしたい。
そんな心理が二者間ではあるはずだ。
実行するのは選手
いくら監督が的確なコーチングをしても最後実行の部分は選手となる。
一方通行の意図だけ伝えたとしても、選手が理解して納得しなければコート内の現象は異なるものとなってしまう。
俯瞰している監督と直に体感している選手の情報をうまく組み合わせることが必要だと思っています。
”土台”はしっかり構築しておき、その土台の上で監督と選手が最適な選択を導いていく。
そして最後に決断するのは監督で実行するのが選手。
これは自由を与えることではない。
土台に乗ること自体が1つの制約であり、選手が何もかも自由にできるということではない。
ただし、その土台の上では、監督と選手の両方の情報を組み合わせ最適化を計っていく。
横並びの関係に一瞬近づくということかもしれない。
現代の教育現場の流れ
この考え方に至ったのには理由がある。
自分が学生時代の育ちからは現代と真逆だった。
とにかく走る、休みはない、監督は絶対。
そんな中で自分を高めて試合に出ることを目指していた。
しかし現代の教育現場は変わりつつある。
モラルといったものが強調され、選手の安全面に配慮されるようになった。
過酷な活動に自殺が起きてしまったり、過労が原因で亡くなってしまう人が出てきたことも大きな要因だろう。
そういったことから活動時間などは健康面に配慮したスケジュールや内容に変わってきている。
良いも悪いも昔に比べて選手がリスペクトされる時代になってきている。
時代に適応すること
それを踏まえると、絶対的な監督がいてチームを動かしていくことにネガティブな要素があるように感じた。
どちらかという当初自分はそういったスタンスだった時期もあった。
しかし現代の20歳そこそこの選手たちはそういったスタンスの監督に不慣れな印象。
選手のパフォーマンスを最大限引き出すためにはどうすべきかを考えた時に先に述べた手法を試みた時に手応えを感じたわけです。
土台に乗せて(制約をつけて)、解き放つ。
意見を言わせ、直に体感したものを大事にしていく。
現代においては、絶対的な監督よりも調和的な監督の方が成果が出るのではないかと考えた次第です。
時代に適応していくことは指導者も求められているのでしょう。
探求することを忘れずより良い方法を模索し続けます。
地味に頑張ります。
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