選手は監督からの評価により自分の立ち位置が決まっていくものです。
これは”評価”は自分ではなく他者がするということ。
社会に出て早16年目であるが、この”評価”というものはフットボールの世界だけでなく、生きていく上で付き纏うものです。
自身の評価により、給与が決まり、賞与が決まる。
こんなことは社会では当たり前のことです。
そんな中において評価される側と評価する側の内容の相違が生まれることは、評価における”あるある”として捉えています。
評価される側は「よくできている」と感じていても、評価する側は「全然できていない」となることは社会に出て10年以上過ごしている人であれば一度はどちらかの立場で経験したことがあるでしょう
評価基準がお互い揃っていないとこのようなギャップは生まれたりするものです。
特に定性的なものに関しては感覚に近いので、人によって評価が異なることが出てくると思っています。
よって、評価基準が曖昧だとしても、評価を得ることができるもの・評価を自然とするもの、それは”数字”です。
定量的な結果については誰もが納得するものです。
毎月予算を達成する営業マン、毎試合をゴールを奪うピヴォ。
これらの結果を評価しない人がいるとしたら、それはおそらく本人の素行が悪い以外ないでしょう。笑
だから、時に監督をやっていて選手の自己評価と監督の他者評価でギャップが生まれる時があります。
それを選手に論理的に説明して納得してもらいながら、最後に
「納得いかないなら誰もが認めざるを得ない結果(数字)を持ってきてください」
と伝えることもある。
ピヴォであればゴール数、ゴレイロであれば失点数、キッカーであればアシスト数、セットにおけるゴール数、セットにおける失点数、ボールハント数、スライディング回数、走行距離、スプリント回数などなど。
あらゆる数字がフットサルには転がっている。
これらを選手自身が拾って監督に伝える選手など実際はいないが、こういった数字をコーチングスタッフは追うこともある。
それが定量的な評価として成立するからです。
ネガティブな評価をされた時、よく”自分なり”にはという言葉を選択することがあるかと思います。
この時点で評価を自分でしてしまっているため、大抵こういう人は自己評価と他者評価のギャップに苦しんでいるはずです。
”自分なり”が通じるのであればみんな評価されます。
みんな自分なりに頑張っています。当たり前です。
でも、その努力がどのような成果を挙げているかを評価すべきだと思っています。
定性的な目標を目を向けながら、最もこだわるべきは定量的な目標達成でしょう。
評価する立場でもあり、評価される立場でもあるからこそ、両方の難しさもわかる。
まさに中間管理職のアラフォー。笑
選手と監督。
それぞれの立場でやるべきことを100%遂行していくことで適切なチーム体制になっていくと思っています。
評価って難しい!
地味に頑張ります。
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